わが家では、習い事を選ぶときに一つだけ決めている方針があります。
それは、「〇〇ちゃんが行ってるから」ではなく、「自分がやってみたいから」。
流行りや友達の影響に流されず、本人が興味を持ったことに挑戦させてみる。それが我が家の考え方です。
今回は、その方針の中で、我が子が幼少期から続けた水泳の習い事についてお話ししたいと思います。
■ 水泳を始めたきっかけは「遊びの延長」
我が子が水泳を始めたのは、まだ幼稚園に通っていた頃。通っていた園が提携していた水泳スクールがあり、遊びの延長のような感覚で始まりました。
当時は「泳げるようになる」とか「体力づくり」なんて目的はほとんどなく、水の中で遊ぶのが楽しいから行きたい!というシンプルな気持ちでした。
もちろん、親としても「水に慣れるのはいいことだな」と思っていたので、そのタイミングで自然に通い始めたのです。
■ 習い事の選び方:「誰かがやっているから」は理由にならない
わが家の基本方針として、習い事は「本人がやりたいと思ったら始める」「親が必要だと判断したら勧める」もので、「〇〇ちゃんがやっているから」は理由になりません。
これは、そろばんも同じ、水泳も同じ。
子ども自身の「やってみたい」という気持ちを大切にしてきました。
■ 友達と一緒じゃなくても大丈夫。最初はひとりだった水泳
水泳を始めた当初、周りに知り合いはいませんでした。
スクールには毎週ひとりで行って、静かに準備して、淡々と泳いでいました。
しかし、途中から同じ幼稚園の子や地元の友達が、次々と水泳に参加するようになってきました。
ただ、そういった子の多くは、「〇〇くんが行っているから」という理由で水泳を始め、「△△くんがサッカーを始めたから」と、あっさりと水泳をやめてしまうパターンでした。
気がつけば、ずっと継続していたのはうちの子だけになっていました。
■ 「ひとりでも続ける力」と「習い事で広がる世界」
周りの友達がどんどんやめていく中、わが子はずっと続けていました。
地元の友達がいなくなっても、「ひとりで行くこと」は全く苦にならなかったようです。
「寂しくないのかな?」と心配になることもありましたが、ある出来事がその思いを吹き飛ばしてくれました。
■ マラソン大会での涙:スクールでできた“もうひとつの居場所”
小学校のマラソン大会。
私は応援のために現地に足を運びました。同じ学年同士で走る競技ですから、基本的には親や先生が声をかけている光景が広がっていました。
でも——うちの子がスタートラインに立ったとき、異様に大きな声援が起こったのです。
「○○くん、がんばれー!!」
名前を呼ぶ声が、あちこちから飛んでくる。
驚いて周囲を見渡すと、それは水泳スクールでできた友達たちの声でした。
同じ水泳スクールで一緒に泳いでいた仲間たちが、学年の垣根を越えて応援していたのです。
思わず目頭が熱くなり、涙がにじんだのを覚えています。
■ 学年も学校も越えた友情
水泳スクールは、学年ではなく「級」ごとのクラス分け。
そのため、同じ時間に泳ぐ子たちは年齢も学校もバラバラです。
うちの子はそうした環境の中で、学年を超えた友達をたくさん作っていました。
たとえば、小6の運動会の日。
すでに中学生になっていた水泳仲間が、わざわざ会場に足を運んでくれて、個人的に連絡をくれたこともありました。
「お前、がんばれよ!」
そんなメッセージを送ってくれる友達がいるというのは、本当にありがたいことです。
■ そろばんでも見られた、学年を超えた友情
実は、これは水泳だけでなく、そろばんでも同じような場面がありました。
小学3年生のある日。そろばん教室から出てきたわが子が、明らかに中学生くらいのお兄さんたちとじゃれ合いながら、楽しそうに駐車場まで歩いていました。
当時は不思議でしたが、今思えばそれも年齢の枠を越えて付き合える力を、習い事を通じて自然と身につけていたのだと感じます。
■ 習い事は「一人で行く」からこそ学べることがある
わが家では「友達が一緒に行くから」ではなく、「本人が必要と思ったものなら一人でも行く」ことを大切にしています。
誰も知り合いがいない場に飛び込んで、自分の居場所を作り、振る舞いを学んでいく——
これは、学校ではなかなか得られない、貴重な“社会経験”だと思っています。
■ 最後に:習い事は「目的」と「気持ち」で選ぶ
習い事の意味は、ただ技術を身につけることだけではありません。
水泳であれば泳ぎ方を学び、そろばんであれば計算力を高める。
でも、その裏にある「人との関わり」「自立心」「継続する力」こそが、本当の学びだったのではないかと思います。
「自分でやりたい」と思って始めたことは、たとえ一人でも続けられる。
そしてその中で、本物の友情や信頼関係を築くことができる。
わが子が水泳を通じて得たものは、きっと一生の財産になると、今では心からそう思えます。
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